南仏プロヴァンスのローマ遺跡(1)マルセイユ

先ずはプロヴァンスについて一言。ここはフランスの南部地中海に面した一帯で、緑豊かで太陽がいっぱい、フランス人に最も好まれる地方の一つ、東に行けばニースにカンヌ、西に向かえばスペインの南バルセローナへと続きます。元来フランス人の元祖ガリアの人達の住んでいた地域です。

フランス第三の都市マルセイユ。ご存知のように地中海に面した大きな港町です。歴史的には紀元前600年頃ギリシャ(小アジアのフォーカイア族)が開港、当時はマッサリアと呼ばれ、貿易と文化の窓口として発展、その後ローマのガリア征服に大きく貢献したのですが、残念ながらこの街にはローマ遺跡はありません。しかしこの港を背景に栄えたプロヴァンス地方に多くのローマ遺跡をもたらしたことは間違いありません。

マルセイユにとっての不幸はローマの内戦でした。カエサルとポンペイウスの不仲の際、長い付き合い上マルセイユはポンペイウスを、そして近くの街アルルがカエサル側について戦うことになり、カエサルの勝利でアルルに良いところを全て持っていかれる結果となります。(アルルについては次回のテーマです。)

 しかし港としての効用は消えることなく時代とともに発展、特に1869年スエズの開通で交易の要としての地位が揺るがぬものとなりました。直後1873年(明治6年)岩倉使節団がアメリカ・ヨーロッパの視察の後マルセイユから乗船してスエズを通過して帰国の途についています。50数年前私がパリに赴任した同じ頃、日本からの留学生の多くはマルセイユに上陸したと聞きました。

当時の港は現在レジャー用のヨットやクルーザーで埋め尽くされ、その西側に広大な貿易新港が出来ています。(写真は旧港です)

 特別のローマ遺跡という訳ではないがギリシャ時代からの埠頭の残骸やローマ時代の城壁の名残は残っています。

もう一つ旧港の外に岩の小島シャトウー・ディフ(イフ島)があります。港の入り口をガードする自然の要塞でもあったようです。マルセイユをガードしながら街と港の発展を見守ってきたと言えます。実際1530年頃この島要塞の城が建造され(現在のイフ城)、その後何時の頃からか特別の留置場として利用されるようになり、政治犯・宗教犯などを中心に、本格的な刑務所に変革されて行ったようです。第2次大戦後まで監獄として使われていたとも聞きます。

(マルセイユについての私の思い出を一つ追記させて頂きます。やはり50年位前のことです。

ワインを醸造した際の樽の底に沈殿する糟から酒石酸という天然酸味料が取れます。日本で粉末ジュースが人気だったこともあり日本は上得意だったようです。マルセイユにこの酒石酸の大手メーカーがありお訪ねしました。社長さんが私の顔を見るなり両手を大きく広げて抱き着いてきました。一瞬大げさなご挨拶だと思ったのですが、気が付くと目に大粒の涙で泣きじゃくっていました。話を伺ったのですがその日の朝、丁度私くらいの年の作業員が樽に落ちて亡くなったのだと言います。勤勉ないい奴だったと言ってまた涙でした。以来その社長さんとは親子のような関係が出来ました。)

(マルセイユ旧港の写真は30年位前のアルバムから、そしてイフ城はネットからです)

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