ロックフェラーの素顔(5)

  1. 結婚と家庭

 1864年9月8日、25歳のジョン・D・ロックフェラー(JDR)は、高校時代の友人ローラ・セレスティア・スペルマンと結婚した。2人が知り合ってから結婚に至るまでに、9年もの歳月がかかったのは、JDRに比べ、スペルマン家の社会的・経済的な地位が高かったことが一因である。ローラの父親は、クラスの中で一番裕福であり、オハイオ州議会の議員をし、慈善事業も行っていた。すぐに結婚を前提とした付き合いには発展しなかったものの、2人の相性の良さははっきりしていた。

ローラは、JDRと同じく義務や倹約を重視していた。また、控え目な態度の中に確固たる信念を秘めていた。宗教面での2人の熱心さには共通するものがあり、ローラは修道女のように神と教会を重視し、生活のあらゆる面に信仰が及ぶようにしていた。ただし、信仰にのみに生きるのではなく、芸術や文化、社会等への興味も広く持っていた。毎日3時間ピアノを弾き、JDRとデュエットすることもあったという。

JDRは、1862年農産物取引で着々と財産を築き、本気でローラに求婚し始めた。彼は、スペルマン家に出かけ、2人で帳簿をにらんで議論することもあった。ただし、ローラは結婚に悩んだ。彼女は当時教師をしていて、結婚すれば、独身であることを前提とする教師の仕事をやめなければならなかったからだ。そんなローラが結婚に同意するのを、JDRは辛抱強く待った。それは、彼のビジネスのやり方と同じである。

1864年初頭に、JDRは石油精製事業で初めて利益を上げ、クリーブランドの有力な実業家になっていた。そして、彼としては珍しく118ドルもの大金を払って、ダイヤモンドの婚約指輪を買った。これは、スペルマン家と同等の生活水準を維持できるだけの経済力を持ったことを示すためであった。もっとも、結婚指輪は、彼らしく質素なものであったが。

規則正しい生活を好むJDRは、結婚式当日の朝も仕事をした。そして、その後のきっちりひと月間を新婚旅行に当てた。行き先は、ナイアガラの滝やモントリオール、ニューハンプシャー州のワシントン山等、当時としては、新婚旅行の定番コースである。JDRは、旅行の間中貪欲な好奇心を見せ、ガイドに次々と質問を浴びせた。そのため、ガイドは気が散り、4輪馬車を誤って脱輪させ壊してしまうこともあった。

JDRは、既にクリーブランド最大の製油所を経営していたが、新婚生活は質素なもので、使用人も置かずにつつましく暮らしていた。「質素な個人生活と、事業の成功による膨大な富」。この夫婦は、個人生活とビジネスとで、お金に関して2つの異なる尺度を持っていた。その2つの尺度の違いは、JDRの事業が拡大するにつれて、ますます顕著なものとなっていく。

齋藤英雄

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