杉本知瑛子

シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(6)

前回、《全音階的音階の音高に関する各調律法の比較》を数値で表した表(音階)を提示して、「主要な音程の数値」と「各種調律法の変遷について」は、次回に記載することとしたが、まずその前に日本人にはなじみのない「古典音律とは何か […]

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シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(5)

移調での演奏から生じた様々な疑問、そこから古典音律(ウェルテンペラメント)といわれている調律法があり、それもヨーロッパでは平均律として調律されていたという事実を発見するに至ったことは衝撃であった。それもこれも平均律である […]

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シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(4)

大学卒業後、京都と芦屋で中川牧三先生、東京で森敏孝先生に師事していた頃、ベッリーニの「マリンコニーア」という曲のレッスン時に、森先生から半音高く移調することを要求された。 *Malinconia,Ninfa gentil […]

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シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(3)

移調奏についての疑問は以後もいろいろあった。 大学の3年の時学内でイタリア歌曲の世界的権威、マエストロ・ファバレットの公開レッスンがあった。(そのホールにはマエストロのご親友である中川牧三先生もご来場されていた) その時 […]

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シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(2)

『冬の旅』は『美しき水車小屋の娘』の続編のようなものといわれていても、童話のような作品とは全く違ったものであり、高校生が好むような歌ではなかった。そして『白鳥の歌』は各曲すばらしいのであるが、やはり高校生には手が付けられ […]

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シューベルト
シューベルト~その深遠なる歌曲の世界(1)

シューベルト(Franz Schubert:1797~1828)は、その短い生涯で1.000曲以上も作曲している。 歌曲だけでも約600曲にものぼるのである。しかもその作品は、多いだけでなく珠玉の名曲が多く残され、特に歌 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
オペラ『蝶々夫人』の魅力(2)

プッチーニの有名なオペラ『Madama Butterfly』の蝶々さんは15歳。オペラの設定は明治初期なので数え年であろうから、現代では13~4歳のあどけない少女であろう。 蝶々さんがモデルとされているらしいのは山村ツル […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~14(最終回)

* 「天才とは天性の才能である。」(広辞苑より) 結果だけを見て、凡人には想像も出来ないことを成し遂げる人間を私達は単純に天才と呼んでしまう。~「天才と凡人(1)」より~ *「シューベルトは梅毒の病魔が脳を侵し、その正常 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~13

「天才とは天性の才能である。」(広辞苑より) 結果だけを見て、凡人には想像も出来ないことを成し遂げる人間を私達は単純に天才と呼んでしまう。拙文初回(1)の冒頭に述べた言葉である。 「天才とは1%のひらめきと99%の努力で […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 中川牧三 近代日本西洋音楽の歴史を創った人物12

天才と凡人~学問研究に対する姿勢 「私が中川先生の偉大な特徴(天才性?)として注目していることに、先生の驚くべき人脈がある。」と前回述べたがその人脈作りの方法とは・・・ 最大理由は「近衛秀麿氏を後見人として共に洋行された […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 中川牧三近代日本西洋音楽の歴史を創った人物11

私の最初の大学時代はといえば専門分野の声楽研究に没頭、そして仕事(ピアノ・声楽・合唱の指導、発表会の開催)にも全力投球。つまり一般教養等は履修届けを出し、試験を受けられるだけの出席日数を確保して試験前の2日だけ参考書を読 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人~中川牧三 ―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~10

例えば、先生のお宅に注文楽譜(一冊)を届けに来られたのは、有名な京都十字屋の会長でそのままお部屋で先生と雑談(私も同席)。 また先生がお電話中にくしゃみをされると、30分後位に「近くを通りましたので」とその電話の相手、阪 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~9

「上品な紳士がつかつかと楽屋に来られ、誰だろう、見たことがある人だが、と思っているうちに、以前からの知己という感じで近寄ってこられた。その言葉の中にこもっている気持ちの細やかさ、それに握手したときの、こちらの手を包んでし […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その8

・欧州留学 バイオリン留学:昭和5年(1930年)近衛秀麿氏と共にシベリア鉄道でヨーロッパへ渡る。 先ず、ベルリンでは一番偉い先生カール・フレッシュ(1873~1944)に師事するがアドルフ・ブッシュ(1891~1952 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その7

洋行前 中学から京都の同志社へ(賛美歌=歌=を歌いたくて同志社を選ぶ)、しかし兄上が二商(現在の北野中学のところ)の卒業生のため一年で二商に転校させられる。 二商の校長大沢渚によるアメリカの教育方法により英会話(イギリス […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その6

先生は101歳の時に(故)河合隼雄(元京都大学名誉教授:日本でユング派心理療法を確立した臨床心理学者:元文化庁長官)氏との対談による自伝『101歳の人生をきく』(講談社)を出版されている。 本の最後に書かれていた小さな「 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その5

一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易に出来る能力を天性として持っている人を天才というのなら、福澤先生も中川先生も正しく天才といえる。 今回は日本では一般に余り知られていない中川牧三先生について、先生の存在で日本の […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その4

(前号から)偉人としての福澤諭吉と、近衛家のプリンスで著名な作曲家の秀麿氏、中川先生とを同列に論じるのは、中川先生をご存じない方が苦々しく思われるかもしれない。 しかし、先生は声楽家でありながら近代日本の音楽(洋楽)の歴 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その3

(前号から)この逸話を私がおもしろいと感じたのは次の逸話を思い出したからである。 それは、音楽の恩師で日本イタリア協会会長だった(故)中川牧三先生が若い頃、作曲家の近衛秀麿氏と一緒にヨーロッパを訪問されたときのことだった […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その2

(前号から)諭吉は兄の供をしての長崎遊学(1年間)で初めてオランダ語の原書を読む。 「私は、オランダ医学の先生の家に通ったりオランダ語通訳の家に通ったりしてひたすら原書を読んでいた。原書というものは初めて見たのであるが、 […]

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