福澤諭吉と英語(2)

福澤諭吉に関する研究、書物は巷にあふれている。それだけ魅力ある人物像であり、幾多の業績を残したからに他ならない。

筆者が興味を覚えるのは次のことだ。

福澤諭吉は英語をどう捉え、どう取り組んでいったのか。

福澤は欧米を視察した際、旺盛な好奇心で近代社会というものを観て、彼なりに理解したことを日本に紹介した。それを成し遂げた一つの要因は彼の英語力にあったのでないか。ぺらぺらしゃべる英語ではない。実用にたけた英語の実力のことだ。

一枚の写真がある。アメリカ人の若い女性が椅子に寄り添い、福澤がちょんまげ、着物姿で腕を組み、座っている写真である。25歳で1860年に、最初の渡米の際、写したものだという。女性も福澤も正面を凛と見据えている。

これを見れば誰だって、この女性は誰だ、福澤とはどんな関係かと興味をそそられることは間違いない。

事実はこうだった。仲間に内緒でサンフランシスコの写真店の娘と撮影したものだ。後で仲間をおおいに驚かせたという。どのような会話があって娘と写真を撮ることになったのか、何と言って口説いたのか、見るものの想像は膨らむ。福澤には茶目っ気があったことがよく分かる逸話だ。

福澤は著書「西洋事情」などで欧米の社会を紹介した。その際に、それまで日本にはなかった事象、仕組みや概念を日本語の単語に翻訳した。外国語をそのまま発音表記するのでなく、新語、造語を手がけた。これは凄いことだと驚かされる。彼は、英語の単語が持つ意味を理解し、それを新しい日本語に置き換えたのだ。

その時代にそれがどんなにわくわくする凄い意味を持った仕事だったことかと想像が尽きない。新しい概念を言葉に現すこと自体が想像力と創造力のなせる技だ。そのおかげで、後の時代の人々は、それらの概念を、無意識かつ自由に使うことができているのだ。ちなみに「自由」というのも福澤の翻訳だそうだ。彼が創り出した訳語を挙げてみよう。

  • 社会
  • 会社
  • 権利
  • 借方・貸方
  • 汽車
  • 版権
  • 討論
  • 改良
  • 不都合
  • 迷惑
  • 背広

(齋藤孝 NHKテレビテキスト「学問のすすめ」より)

最近は英語をそのまま使って煙に巻くひとが少なくない。ビジネスモデルと言う言葉をよく耳にするし、自分でも使う時がある。特になにか仕組みが関わる仕事については、「このビジネスモデルが新たなバリューを生み出す」などと、いかにももったいをつけて使うのをよく聞く。しかし、時に気恥ずかしくなる。よい日本語の訳語はないものだろうか。福澤だったら何と表すだろう。

風戸 俊城

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