シンゴ旅日記ジャカルタ編(21)  日帰り旅行 その2 花公園の巻

インドネシアの草花が見たくなり、ボゴール植物園に行きましたが、そこは樹木が主体の植物園でした。それで期待したように沢山の草花を見ることができませんでした。

私は運転手さんに頼んで、どこかに大きな花畑がないかを調べてもらいました。

彼が紹介してくれたのがボゴールを過ぎプンチャック峠を越えたチアンジュール県にあるタマン・ブンガ・ヌサンタラでした。それでボゴール植物園に行った次の日曜日にそのお花畑というか庭園というか植物園に行ってみました。

そこは私の住むチカランからボゴール経由で110km、車で3時間ちょっとのところでした。

ボゴールを過ぎてプンチャック峠で標高をスマホのアプリで測ると標高1500m近い高さでした。

出発して二時間以上経っていましたので、峠のテッペンのレストランでコーヒー休憩としました。

屋外のベランダに立つと、吹き寄せて来る風が肌に冷たかったです。

休憩後に峠を越えて行くとそこは斜面となり、坂となった畑が広がっていました。

そして、峠からさらに一時間ほど走ると目的のタマン・ブンガ・ヌサンタラに到着しました

この庭園は故スハルト元大統領の夫人ティエン・スハルトが1995年に作ったものです。

広さは23ヘクタールあり、様々な展示物があります。例えば、フランス庭園、バリ庭園、日本庭園、温室、バラ園、地中海の庭、ヤシの庭、花の絨毯の他、ウォーターパーク、迷路、恐竜、等々があります。入場料は一人40,000ルピア(約320円)でした。

入ってすぐの広場にはクジャクや白鳥を花で作った大きなモニュメントがありました。

広い庭園をどこから回るか悩みましたが、ボゴールの植物園の時と同様に、庭園の全体図を見て、

右回りに歩いて行くことにしました。

歩き始めて最初にあった建物はベゴニアばかりが集められた温室でした。

建物の入口で一人5,000ルピア(約40円)と言われお金払いましたが、もらった領収書に印刷されているのは2,000ルピアで、赤いスタンプで5,000ルピアと押されていました。日曜日は特別料金としているのです。

ベゴニアの温室を見終わって外に出ると、隣に日本園がありました。

和風の門から中に入って樹木の名前が書いてある立札を見ると、多くの樹木は中国、ブラジル、ヒマラヤそしてインドネシアのものでした。

日本園の中は日本庭園を模して池が作られ中には鯉が泳いでおり、橋も架かっていました。

紫陽花があったので、運転手さんにこれは日本原産だよと説明し、花の名前を書いたプレートを探したのですが見つかりませんでした。

日本園には池や、宍脅し、灯篭などが配置してありました

衣装を着せて写真を撮るコーナーがありましたが、その衣装はなんと中国服でした。

日本園をでてどんどん歩いていきました。広い庭園の中を無料のバスが走っていました。

しかし、私と運転手さんはそれに乗らずに歩いて回りました。

すると生垣で作った迷路があり、そばには四階建てのような塔が立って

いました。

運転手さんが上に登って行って迷路を眺めようと言いました。

私はすでに歩き疲れ、お腹も空いてきていたので、階段を上って行くのが

億劫になっていました。

高い塔だからエレベーターがあるだろうとその塔に近づきました。

するとやはりエレベーターはあったのですが壊れていて使用不可でした。

私はちょっと疲れていましたが、折角来た庭園だからこの際、その塔に

登ってみようと決心し、二人で階段を上っていきました。

息を切らして最上階まで上って、下を見下ろし、迷路をバックに運転手さんが取るポーズをカメラに収めたり、高い位置から見える庭園の景色をパノラマで撮影したりしました。

塔の上で時間を費やしたあと等を下り、食事をするためにレストランを探しました。

庭園の中にはあちこちに小さな食堂はあるのですが、どこもご飯ものと麺類ばかりなのです。

それらは糖質制限中の私にはご法度の料理ばかりなのです。

私は炭水化物(デンプン)でなく、タンパク質豊富な魚やお肉が食べたいのです。

お肉が食べられそうな食堂に立ち寄ったのですが、ご飯が付く定食ばかりでした。

それで、その店の人にお肉や魚が食べられるレストランがありませんかと聞くと、その先の遊園地の中にあるといいました。

私たちはさらに歩いて行き、釣り堀を眺めながら食事ができるところで昼食を取りました。

食後はフランス園、バラ園、ダリア園などを見て回りながら入口に向かいました。

多くの家族が来ていましたが、目に付いたのはアラブの家族連れでした。

目だけで頭からすっぽりかぶるニカブを被った女性たちもたくさんいました。

運転手さんとあれでは自分の奥さんかどうかわからないのではないだろうかと冗談を言いながら歩いて行きました。ジャカルタ近郊にはアラブ人の人たちが住む一角があるそうです。同じイスラム教徒と言ってもアラブ人とインドネシア人は宗教に対して大きく違いがあるような気がしました。

食後に歩いたので二人ともちょっと疲れてきました。もう庭園散策を切り上げて帰ろうと言うことになり出口い向かって歩いて行きました。するとその庭園のシンボルになっている女神像があり、その前で女神像と同じポーズで写真を撮ったり、大きな花時計をバックに写真に納まりました。

とても一日で回り切れる庭園ではありませんでした。

そして、私たちは駐車場に戻り、来た道と違う道で帰ることにしました。

帰りはヤシ畑やゴム畑を通る山道で、少し麓に近づくと段々畑の見える

高台に出ました。

私は一軒しかない小さな茶店の横に車を止めさせ、

車から下り、また坂道を下りて段々畑の写真を撮りに行きました。

樹木に囲まれてあまり良い写真が撮れず、坂道を登って茶店に戻って

くると、運転手さんが地元の年配の人とコーヒーを飲んでいました。

年配の人は近くにヤギの餌となる草を毎日山に取りにくるそうで、近くの

オートバイの後部座席に刈り込んだ草が丸めて積んでありました。

年配の人に年を聞くと70歳でした。

私が元気でいいですねというと、彼は自分の歯が少なくなり、私の歯が

沢山あっていいですねと答えてきました。

年配の人と話したあと車に乗って走り出すと、運転手さんが先ほどの人

は私が田を見に坂を下りて行ったので日本人が土地を買いに来たのだ

と思ったようですと話してくれました。

私は次の休みは滝のあるところに行きたいと旅行案内人でもある運転手

さんにお願いすると、わかりましたと返事が返ってきました。

その日アパートに戻ったのは夜の8時を過ぎていました。

丹羽慎吾

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