福澤諭吉と英語(4)

前号では Society の翻訳語として、当初福澤諭吉は「人間交際」という訳を当てたと書いた。

当時、Society に対応する言葉がなく、これを日本語に訳出することは相当な困難があった。その状況で、「人間交際」という翻訳を与えたことには、福澤の慧眼を感じる。なぜならば、現代に住む我々にとって、Society の対訳である「社会」は当たり前の概念として認識されているが、明治の初めにあって日本には近代的な社会そのものがまだ存在していなかったからだ。それにもかかわらず、福澤は、社会を形作るものの実体、具体が「人間の交わり」であることを見抜いていたことに驚くほかない。

一方で、前号では「世間」という言葉は、明治期以前の古き良き日本における、言わば世相を映す鏡のようなもので、日本における「社会」の前世紀的な概念だったのでないかと述べた。そこに「社会」という翻訳語が現出し、それによってその言葉に当てはまる、有り得べき実体が、ひとつの抽象的で近代的な概念として希求されていったのではなかろうかと締めくくった。

今回は、「人間交際」や「世間」という旧来の言葉が、比較的短い期間で「社会」という言葉に置き換わり、そこに近代的な概念が加わる変遷を遂げた過程について考察してみたい。

「人間交際」は福澤の造語であったが、「交際」そのものは昔から使われていた。その意味するところは、おそらく一対一の人間関係や、せいぜい複数であってもそれほど多くはない団体同士の付き合いを意味していたと思われる。

その「交際」に「人間」という、元々交際の主体であるものをわざわざ接合させたことに一定の意図を感じる。

「交際」の主人公、主客、主体である「人間」を冠することによって、「交際」そのものの意義や古くからの属性を転換させ、Society が持つ意味、つまり多くの人間が集まっての営み、活動といった概念を埋め込もうとしたのでないだろうか。

福澤がそれを意図していたかはあくまで想像の域を脱しないが、新しい時代の波を捉え、文明を批評しながら、新しい概念を採り入れ、日本語に定着させようとしていた努力の一端は窺える。

さて「社会」の造語である。どういう変遷を経てその言葉にたどり着いたのか。

まず「社」という言葉は、同じ目的をもった人々の集まりや団体を指すものとして明治以前から使われていた。

例えば、「社」の一例として、明治六年(1873年)に結成された「明六社」は、森有礼の発起により、翌年、西周、加藤弘之、福澤諭吉らを主要社員として成立した団体で、「明六雑誌」を発行して、欧米思想の紹介や普及に努めた。

この「社」を使った言葉に「社中」がある。これは同じ志をもった仲間である「社」の中にある構成員を表す言葉だが、例えば有名な「亀山社中」は、1865年坂本竜馬が長崎で結成した貿易結社で、物資の輸送とともに航海訓練を行うなど、私的な海軍の性格をもち、海援隊の前身となった。

つまり「社」は、明六社のメンバーや当時の知識人にとって、「人の集まり、営み、活動」を表す語幹をなす言葉として認識されていたことは間違いがない。そして彼らや同時代の人間によって「社」と「会」を併せて「社会」という言葉が徐々に使われるようになった。

ここで再度「学問ノススメ」第十七編から次の一節を引用したい。

「かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳(つまび)らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟(ま)たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆(しっかい)虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。」

(現代語訳:見識のある立派な人々には、世間に栄誉を求めることなく、あるいはそれを浮世の虚名と考えて避けようとする者がいることは立派な人間の心がけとして、賞賛すべきではあるが、それを求めるとか求めないとか言う前に、まず栄誉というものがどういう性質のものかを明らかにする必要がある。その栄誉というものが、本当に虚名の極地であって、医者の玄関や薬屋の看板のようなものであれば、これを遠ざけて避けるべきだというのは言うまでもない。しかしまた一方から見れば、この社会における人間関係はすべて虚構で成り立っているわけでない。ひとの知性や人間性は、花の咲く樹木のようなもので、栄誉や人望は咲いた花のようなものだ。)

ここで福澤が「社会」という言葉を使い、それを「世間」と対比して使っていることに再度注目したい。

福澤は自分の造語である「人間交際」を捨て、明六社の社中で使われつつあった「社会」を採用したと推定できる。私たちはここに、「世間」という古い概念や、「社」という比較的狭い範囲でのひとの集まりを脱し、近代的な概念、広い意味での人間関係を表す「社会」という日本語が生起したことを観ることができる。(了)

 

風戸 俊城

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