随筆

フランスあれこれ
フランスあれこれ60~お酢と油=私の思い出骨董品(1)

我が家の想い出博物館にある一品です。何時の頃手に入れたものか静かに陳列棚に鎮座していますが、これを見るたびに日本の「お神酒徳利」(おみきどっくり)を思い浮かべます。 お神酒徳利は何故か2本、いつも並んで神棚にお供えします […]

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フランスあれこれ59~戦場(II)ノルマンディー上陸作戦

 1944年6月6日、英・米・加・仏などの連合軍がドイツの占領下にあったフランスのノルマンディー沿岸に上陸作戦を決行します。これが決定打となって態勢が一気に収束に向かいました。この現場を一度は見ておきたいと思っていたので […]

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フランスあれこれ58~戦場(I)ヴェルダンの戦い

 皆さん、アルザス・ロレーン地方という名前はご記憶にあると思います。現在フランスの一部ですがそう言えるのは正確には第二次大戦以降ではないでしょうか。それまでドイツとフランスの間で領土合戦が繰り返された歴史があります。その […]

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フランスあれこれ57~ミレーの「落穂ひろい」=バルビゾン村

 ナポレオンのフォンテンブローと来ると自然と足の向くのがミレーの「晩鐘」「落ち穂ひろい」のバルビゾン村です。フォンテンブローのすぐ隣り、日本からの旅行者にこの話を出すと皆さん飛びついて是非にと希望されます。しかし現地に入 […]

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フランスあれこれ56~私のナポレオン(3)ナポレオン追想

1814年ナポレオンは皇帝の座を追われエルバ島に流されて一年、その間戦勝の欧州列国はウイーンで戦後体制を話し合いますが「会議は踊る」で遅々として進まず、後任のルイ18世の悪政による国内の混乱もあって、1815年3月ナポレ […]

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フランスあれこれ55~私のナポレオン(2)百日天下への道

 古いアルバムを繰っていて一枚の写真を見つけました。ナポレオンの乗馬像で日付は1992年。当時はデジタル化の前で写真撮影は景色と一緒に人物の写真を撮るというのが一般的でした。(人物は切り取っています)  1814年4月フ […]

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フランスあれこれ54~私のナポレオン(1)ナポレオン時計

  40年位前でしょうか、2度目のパリに赴任をしました。その直後ある得意先から記念品だと言って置時計を頂きました。何の記念だったのかは記憶にありませんが、「ナポレオン時計」だという事はしっかり覚えています。(写真はイメー […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ53~シャルトルの薔薇窓(私のステンドグラスの始まり)

 シャルトルと言えば大聖堂、世界遺産です。 パリの南西約80km大穀倉地帯(ボース平原)の中央、遠くから大聖堂の尖塔が遠望出来ます。町は極めて静かでこの聖堂がなければ普通の田舎町です。サラサラと清水が流れる小川と緑の並木 […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ52~フランスの飼い犬(2)

 前回品行方正なフランスのペット犬をご紹介しました。あれから20年位の後、2度目の駐在でフランスに赴任しました。今回は真逆のペットを見てビックリというお話です。 赴任早々、郊外の会社訪問で関係の会社の担当者と一緒に得意先 […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ51~フランスの飼い犬(1)

私のパリ駐在最初のカルチャーショックの一つはお向かいのペット犬でした。オペラ座の北側にあるプランタン百貨店のすぐ近くのワンルームが私の単身赴任の最初の住まいでした。 お向かいのワンチャンは面長な顔、足長で背が高く実にスマ […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ50~フランス生まれのスポーツ=ペタンク

皆さんペタンク(Petanque)と言うスポーツをご存知でしょうか。私が50数年前に見たペタンクの風景は正に写真のような光景でした。パリの街角やちょっとした広場や公園の一角で、皆さん実に楽しそうにプレーしていた光景を思い […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ45~原子力発電=ジスカルデスタン元大統領(追稿)

過日ジスカルデスタン元大統領の訃報をご紹介した際、大統領の業績の一つとして原子力発電推進と書きました。彼の大統領就任の直前、第一次オイルショック(1973)に見舞われました。それが彼の原子力へのこだわりのきっかけになった […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ44~元大統領ジスカルデスタンの死を悼む

第20代フランス大統領ジスカルデスタン(Valery Giscard d’Estaing)がコロナで去る12月2日逝去と言うニュースが流れました。享年94歳。 私が最初にパリに赴任した1964年当時はドゴール大統領でした […]

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松村隆太郎
ルーヴルと私 怖い思い出

パリに行ってルーヴル美術館を訪問しなかったことはありません。何度訪れても感激を新たにするのですが、その中でも特に忘れられない思い出をひとつ・・・ mats ルーヴルが好き 今まで何度行っているのだろう?と振り返るとその昔 […]

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十男が行く!
十男の父「星影のワルツ」

亡父の唯一の持ち歌は「星影のワルツ」だった。家族は下手なこぶしをきかされた。だが晩年は時々歌う目から涙が出始めた。ボクは「老人特有の涙目症状だろう」と思っていた。 父が10歳時に両親が離婚した。実母は実家に帰り、ほどなく […]

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松村隆太郎
ピアノと私  頭の中が真っ白・・・発表会デビュー

生まれて初めてのピアノ発表会、弾き始めてすぐに立ち往生してしまい忘れられない発表会デビューとなりました。一念発起して長期間練習を重ねた大曲をひっさげてのデビューだったのですが・・・ mats ピアノ歴 ピアノを習っていた […]

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佐藤春夫
佐藤春夫(1)望郷詩人

佐藤春夫は、大正時代に新進作家としてデビューして以来、詩、小説、評論、随筆など多くの作品を著し、小説「田園の憂鬱」、詩「殉情詩集」で文壇での地位を確立した。芸術院会員となり、わが国の近代文学界で大きな足跡を残した結果、文 […]

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十男が行く!
十男63歳 十人の子を養う親はあれども一人の親を養う子はまれなり

いわゆる名言、金言と言われる言葉をボクは日記や手帳によくメモるのだが、いつの日か忘れ去る。身の丈に合わないのか心動く器量がないのか。そんなボクでも一つ忘れられない言葉がある。 10人兄弟の7人を喪って六男、九男、十男のボ […]

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十男が行く!
十男60歳 葬儀1か月後、兄ちゃんがまた死んだ

四男の死(享年73)から1か月後、76歳の二男が亡くなった。晩年は脳梗塞から色々な病気を併発した。弟の死を知らされ病床で号泣した。 二男だが長男が夭逝したためお鉢が回って家長・当主に抜擢された。勉強が嫌いではないが、苦手 […]

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十男が行く!
十男60歳 兄ちゃんが死んだ

四男の兄が亡くなった。兄弟が多ければ自ずと葬儀も多いと思われるだろうが、一番下の十男のボクには悲しみは“ひと10倍”だ。 目を覚ますと枕元に真新しい野球のグローブがある。ボクは風邪で小学校を休んでいた午後。「兄さんからだ […]

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