随筆

卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その5

一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易に出来る能力を天性として持っている人を天才というのなら、福澤先生も中川先生も正しく天才といえる。 今回は日本では一般に余り知られていない中川牧三先生について、先生の存在で日本の […]

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十男が行く!
十男の父②子だくさんの原点 

11人の子の親だから、ボクの父はさぞ筋骨隆々、逞しく精悍な男!さにあらず、ごく普通の農家の親父だ。ただちょっと寂しいおっさんずライフだ。 明治末の農家の長男だ。両親(ボクの祖父母)は男2人を生んだ後、離縁した。子供は男親 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その4

(前号から)偉人としての福澤諭吉と、近衛家のプリンスで著名な作曲家の秀麿氏、中川先生とを同列に論じるのは、中川先生をご存じない方が苦々しく思われるかもしれない。 しかし、先生は声楽家でありながら近代日本の音楽(洋楽)の歴 […]

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十男が行く!
十男の母①パンツのゴム通し 

ボクが高校生の時、実家には山積みの下着パンツとゴムがあった。母の内職の材料で下着のゴム通しだ。報酬は定かでないが「1枚で1円」だったか。「あまりカネにはならんが、少しでも、ね」と母は下宿先から帰省したボクに笑って言った。 […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その3

(前号から)この逸話を私がおもしろいと感じたのは次の逸話を思い出したからである。 それは、音楽の恩師で日本イタリア協会会長だった(故)中川牧三先生が若い頃、作曲家の近衛秀麿氏と一緒にヨーロッパを訪問されたときのことだった […]

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十男が行く!
十男の父①その収入

父は86歳で亡くなったが遺した手帳に末っ子十男・ボクの高校・大学時代の仕送りなど要したお金の詳細が記してあった。 昭和39年度 155,470円 高校1年 昭和40年度 137,300円 高校2年 昭和41年度 184, […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その2

(前号から)諭吉は兄の供をしての長崎遊学(1年間)で初めてオランダ語の原書を読む。 「私は、オランダ医学の先生の家に通ったりオランダ語通訳の家に通ったりしてひたすら原書を読んでいた。原書というものは初めて見たのであるが、 […]

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十男が行く!
十男、憧れのマドンナと結婚

農家の十男で末っ子の新米記者は24歳で結婚した。相手は周囲の独身仲間たち憧れの的の女性(22)だった!恋愛でもお見合いでもない。イケメンどころかルックス十人並みでないボクが高嶺の花と結婚できたのは……。 古里の父親とある […]

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卒都婆姫の 思い出語り
天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その1

天才と凡人 「天才とは天性の才能である。」(広辞苑より) 結果だけを見て、凡人には想像も出来ないことを成し遂げる人間を私達は単純に天才と呼んでしまう。 「シューベルトは梅毒の病魔が脳を侵し、その正常と異常の狭間で『冬の旅 […]

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十男が行く!
十男記者に社会の洗礼

「末っ子十男」のボクは記者研修を終え、幹部の前で配属希望先を聞かれた。同僚ほとんどが「社会部」「経済部」「運動部」など取材部門を希望していたがボクは「整理部」と答えた。高校時代に新聞部で少し新聞というものをかじっていたの […]

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十男が行く!
十男 新聞記者になる

 11人きょうだいの末っ子「十男」のボクは高校生時、公務員などを希望する就職コースのクラスにいた。部活動は新聞部。年に3~4回発行する高校新聞を取材、制作していた。新聞を作る楽しさや読者(高校生)の反応に新聞作りが非常に […]

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十男が行く!
末っ子十男 命名の怪

私は農家の十男。きょうだい全11人の末っ子。長女が生まれて以来、男が十人、私はそのトリ。今なら「テレビ番組の大家族特番」だ。姉兄とは母親父親ほど年齢が離れており、すでに上8人は黄泉に旅立った。 進学時の申請書や会話の時に […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ(14)7月14日はパリ祭

7月14日はパリ祭です。今までにもテレビなどでご覧になったと思います。朝からシャンデリゼ大通りで盛大な軍事パレードがあり、大統領の閲兵のもと、パレードには陸海空軍は無論、戦車、騎兵隊、更には消防団や看護師などが登場、そし […]

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北原白秋
北原白秋と柳川(その2)

2つの悲劇 白秋は、尋常小学校では神童の名を欲しいままにし、2年飛び級をするほどであった。文学への情熱は高まり、その才能が新聞雑誌に初めて取り上げられたのは、17歳の時(1902年)。福岡日日新聞に投稿した短歌のうち、一 […]

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北原白秋
北原白秋と柳川 (その1)

3つの白秋記念館 北原白秋は、詩人、歌人、童謡作家、民謡作家、随筆家、文芸評論家として、膨大な数の作品を残している。彼の筆力は、生涯衰えることはなく、人気の高さは、白秋の記念館が、3か所も現存することからも明白である。北 […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ(10)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(III)

2度のフランス駐在も終わり、20年ほど前に日本に帰国しました。叔母さんに最初にお目に掛かり大変お世話になって以来約40年位たっていました。突然柴田さんが私の前に現れたのです。場所は軽井沢です。 私の親友で同じ高校同級生、 […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ(9)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(II)

こんな写真が出てきました。5月21日(1964年)とメモされていました。叔母さんの隣には私が座っていました。ご主人が私のカメラで撮影したと思います。そう、叔母さんは私の家庭教師でした。ご記憶でしょうね。週末ごとに学校から […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ(8)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(I)

こんな写真が出てきました。日付は1964年4月23日となっています。お世話になり始めて2週間くらいでしょうか。この頃は当然のことながらフランス語を話せる状態ではありませんでした。お世話になった3か月の事を思い出しながら、 […]

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宮沢賢治
「宮沢賢治」人気の秘密(7)

4)宮澤賢治記念館 宮澤賢治の没後50年を記念して花巻市により作られたもの。賢治の業績を多角的に分析、遺品の数々を展示している。新花巻駅に近い、胡四王山(ルビこしおうざん)に立つ。この山は、賢治が「経埋ムベキ山」とした3 […]

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宮沢賢治
「宮沢賢治」人気の秘密(6)

5.賢治の足跡を訪ねる この拙文を書くにあたり、私は花巻を2度訪ねた。最初は会社の友人、2度目は、この雑誌の三浦基弘編集長とである。2度の旅で訪ねた賢治ゆかりの地をご紹介したい。 1)岩手山 編集長と青森県との県境に近い […]

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