イラン追想

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イラン追想(30)テヘランの思い出(17) 終

1978年の年末、筆者は特別救援機でテヘランを飛び立ち、イスタンブールに避難しました。 地方都市から始まった反体制派のデモが燎原の火のように広がり、首都テヘランの日常も大きく変わろうとしていました。夜間外出禁止令が敷かれ […]

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イラン追想(その29)テヘランの思い出(16)

機上から見たイスタンブールの町はカラフルで、イランの風景とは異なっていました。 特に、屋根の形状が三角形で、切妻であることが印象的でした。雨の少ないイランでは、ほとんどの建物の屋根がまっ平で灰色だったのです。 しかし、私 […]

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イラン追想(その28)テヘランの思い出(15)

当時、国際電話をかけるには非常に高い費用がかかることからよほどの緊急時に限られ、テレックスが国際通信の手段として広く使用されていました。 アルファベットや数字、記号などが紙テープに開けられた穴の組み合わせで表されるように […]

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イラン追想(その27)テヘランの思い出(14)

1978年のある日、私は上司の部屋に来るように言われました。 そこで告げられたことは、次の朝イスタンブールに飛ぶようにとの出張命令でした。 その理由は、市内で興っている騒乱や混乱のために、通信回線が中断されたためというも […]

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イラン追想(その26)テヘランの思い出(13)

前号で昔テヘラン大学で、ペルシア語の日常会話と文字を教わったと書きました。 写真は筆者がペルシア語の詩の一節を専用のペンを使って習字として書いたものです。 高名な詩人、フェルドーシィのシャーナメ(王書)からの引用した一節 […]

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イラン追想(その25)テヘランの思い出(12)

筆者は赴任当時、半年間ほどテヘラン大学のペルシア語講座に週一回のペースで通い、ペルシア語の会話とペルシア文字の筆記を習いました。 写真は当時のテヘラン大学正門を写したものです。女子大生の姿も見えます。 構内は広く、多くの […]

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イラン追想(その24)テヘランの思い出(11)

イラン随一の名門大学、テヘラン大学の女子学生達の様子(1970年代)を伝える写真です。 革命前は、インテリ女性たちの多くは西欧風のファッションに身を包み、元々彫りの深い顔立ちが映える、洗練された身のこなしをしていたもので […]

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イラン追想(その23)テヘランの思い出(10)

この写真は筆者が滞在していた頃(1970年代後半)のテヘラン市内の目抜き通りを写したものです。 右手の看板に注目してください。 東芝製の炊飯器の広告です。 炊き上がったご飯がお釜の中に見えます。 一方で、皿に盛りつけられ […]

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イラン追想(その22)テヘランの思い出(9)

テヘランには中東最大のバザーがあります。中に足を踏み入れると内部は迷路のようです。 バザールでは、何かを買うために価格を交渉する必要があります。 特に高価なペルシャ絨毯を買うときは、半日かけてでも値段を交渉しなければなら […]

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イラン追想(その21)テヘランの思い出(8)

当時、テヘラン市内には電車も地下鉄も走っていませんでした。 市民の足はもっぱらバスか車でした。 しかしながらそこそこ工業化が進んでおり、国産の自動車メーカーがありました。 写真に写っている箱型の乗用車がイラン国産車です。 […]

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イラン追想(その20)テヘランの思い出(7)

テヘランの町は山のふもとに広がっています。 宮殿と豪華な住宅地は、北部地域の高地に建てられていました。 雪解け水を利用した水路が幹線道路沿いに設置されていました。 そのおかげで道路沿いに植えられた木々は堂々と生い茂り、素 […]

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イラン追想(その19)テヘランの思い出(6)

当時、テヘランでは都市の列車も地下鉄も走っていませんでした。 当時のイランは中東で非常にユニークなことにかなり工業化が進んでおり、国産の自動車メーカーがありました。モデル名はペイカン。 2005年までの40年以上にわたり […]

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イラン追想(その18)テヘランの思い出(5)

イランの最後の皇帝はレザ・パフラヴィ・シャーです。本編の(1)に載せた写真に、革命前の紙幣が写っています。すべての紙幣には国王の肖像が印刷されていました。 イランの皇帝は、古代ペルシアの栄光を取り戻す野心を持っていました […]

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イラン追想(その17)テヘランの思い出(4)

現地では会社が単身赴任者用に借りたアパートに住んでいました。 1つのフロアーに3つのベッドルームがあり、大きな居間と台所が共用となっていました。 居間の北側の窓から見えた風景がこの写真です。 はるか遠景に映る山々はエルブ […]

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イラン追想(その16)テヘランの思い出(3)

当時筆者は25歳でした。勤め先のイラン法人のオフィスでの執務風景を撮った写真が残っています。 電話機が時代を表しています。当時日本のオフィスでは、黒電話が標準でした。ダイヤルを回すアナログ方式の電話機です。 右の写真が誰 […]

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イラン追想(その15)テヘランの思い出(2)

約40年前の1977年の夏、筆者は羽田空港発のパンアメリカン航空のフライトに乗りこみました。 その飛行は世界一周便でした。 当時はすべての国際便、国内便が羽田空港から発着していました。なにしろ成田空港が開港する以前だった […]

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イラン追想(その14)テヘランの思い出(1)

2018年3月に、「イランについてなんでもしゃべろう(しゃべくりNight)」というイベントが横浜市某所で開かれました。 そこで筆者は、1977年から78年の革命直前まで過ごしたテヘランでの生活について、写真を交えて英語 […]

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イラン追想(その13)「イラン現代社会事情と女性たち」

「イラン現代社会事情と女性たち」を聴いて 本編は2017年9月23日に開催された講演会に参加し、その後のディスカッションを通じての所感を記したものです。 対談のような形で、アフサネさん(イランからの留学生)と米沢さん(大 […]

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イラン追想(その11)ペルシア語の表記(文字)

過日、中原図書館に立ち寄った際、ペルシア語の入門書を見つけました。これに加えて、英国史とイランでの商売に関する本を借りました。 写真に見えるのは、ミミズが這ったような文字の列です。 これがペルシア語の表記なのです。 文字 […]

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イラン追想(その10)海賊と呼ばれた男

映画「海賊とよばれた男」 (原作 百田尚樹) モデルは出光佐三。出光興産の創業者です。 日本の復興のために立ち上がった多くの男のなかでも、この人物のスケールは傑出しています。 昔中東で仕事をしていたので、彼の話は知ってい […]

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