シンゴ旅日記ジャカルタ編(29)  頭痛三度目の正直の巻

一ヶ月以上前から右後頭部が痛みだしました。

それで、先々週に病院でMRIを撮ると脳には異常がなく、虫歯が原因ではないかと言われました。
なので、先週は同じ病院の歯科虫歯だった右奥歯を抜いてもらいました。
しかし、頭痛は治りませんでした。それどころか右の耳も痛くなってきたのです。
なので、今週はまたまた同じ病院の耳鼻科に行きました。
それは、火曜日の午後5時の予約でした。
けれど、4時に病院に着いたので、コーヒーショップでカフェ・ラッテを飲んで時間を潰しました。
そして、5時前に前回と同じ医療サービスの青年とロビーで会い、耳鼻科の診療室に行きました。
しかし、5時に先生は現われませんでした。
やっと、30分程遅れて先生が到着し。診察が始まりました。

先生は若い女医さんでした。私が最初に診てもらう患者でした。

はじめに、先生は私が持参したMRIの写真を見ながら、これは右の鼻が詰まっているからですと指摘しました。先生は写真の鼻の部分を示しながらここが少し曲がっており、右側の副鼻腔への入口を圧迫していて空気が入らず、酸素不足で神経を痛めているとの説明してくれました。

その説明が終わると検査に移りました。

細いパイプの先にカメラが付いた内視鏡を右の鼻の中に入れられました。

目の前にあるスクリーンにそのカメラが撮る映像が映し出されました。

鼻の中に入るまでは鼻の下のヒゲが、中に入ると鼻毛がまるで植物園で見たツル草のように思えました。その中をカメラがどんどん進んで行くのです。まるでジャングルを進む探検隊です。

そしてツルが無くなると、そこからは岩で閉じ込められたような洞窟が映しだされました。

先生がこのように扉が閉じられていて空気の通り道がありませんと説明してくれました。

そして次に左側の鼻の中に同じように内視鏡を入れ、こちらは通り道があるでしょうと洞窟の割れ目のような入口を見せてくれました。

その後に同じ内視鏡で耳の中を調べられました。

私は右の耳が痛かったのでそちらは掃除をしていましたが、左の耳の方はあまり掃除をしていませんでした。右の耳の検査を終えて左の耳の中を内視鏡が進んでいき鼓膜を写し出すまでに、その通路にカスが散乱しているのをスクリーンで診てしっかり掃除してくるのだったと後悔するとともに女医さんの手前恥ずかしくもありました。

その次は喉の検査でした。これは内視鏡は使わずヘラで舌を押さえて行われました。

扁桃腺が一つしかありませんねと聞かれました。そうなのです。私は子供の時に扁桃腺の手術を受けたのですが一個切ってから泣き出したのでそれで手術中断となりまだ一個は残ったままなのです。すべての検査を終えて先生から治療方法を聞きました。

まず一週間分の鼻腔へのスプレー薬を2種類と、錠剤を二種類出すこと、一週間後にまた検査に来ること、そして、この病気は完治するまで3ヶ月は様子を見る必要があるとのことでした。

私は通訳の人に一体なんという病気ですかと聞くと、彼は英語で答えましたが、よく分らなかったので日本語で何というのですかと聞くと、スマホでその日本語を教えてくれました。

スマホには「急性鼻副鼻腔炎」とありました。そして、鼻の構造の複雑さを始めて知りました。

治療を終えて2階に上がり、薬局で薬を出してもらうまで通訳の青年と話をしながら待ちました。

通訳     実は今夜は会社の送別会があるのですよ

私        遅くまで同行してもらって申し訳ありません

通訳     いいえ、仕事ですから問題ありません

私        食事会の会場までお送りしますよ

通訳     いいです、この時間は道が混んでいますからゴージェックで行きます。

私        会場はどこですか

通訳  近いです、ここから30分くらいのところです

私        じゃあ、やっぱりお送りしますよ

通訳     それでは、食事会に参加しませんか

私     あなたの会社の食事会に他人が入ったらしらけますよ

通訳   問題ありません、日本に行く仲間の送別会なのです

日本の会社の社長さんが参加するとなれば皆が喜びますよ

私        じゃあ、顔だけ出して失礼することにしましょうか

通訳     ちょっと待ってください、リーダーに確認します。

(電話をした後で)

リーダーが歓迎すると言っています、是非とも参加してください。

私        ありがとう、でも、私は今、糖質制限中で、ご飯なしでお肉が食べたいのです。

通訳     そのお店はオージービーフの美味しいお店です、

値段は高くありません、みなで割り勘ですから問題ありません。

私        そうですか、それではご一緒します。

ということで彼を送りながら彼の会社の食事会に参加しました。

13人のメンバーで食事会が行われていて、私たちが到着した時にはほぼ食事は終わっていました、そして、二組くらいにわかれて楽しくお話しをしていました。

私と通訳の人のステーキはあらかじめ注文してあったので到着するとすぐに出てきました。

私は食事を終えると、参加していた3人の日本人にそれぞれの出身地や今までの勤務地を聞いたり、私のアジアでの経験を話したりして座を盛り上げました。

そしてお勘定の時間になったので、私から皆で記念写真を撮りましょうと言って、女性陣は椅子に座り、男性陣は後ろに立ってもらいました。

私は「はい、笑って」「はい、親指をたてて、サムアップ」と音頭を取りながら何枚もの集合写真を撮りました。

みなさんはそれから二次会に行くようでしたが、いくら図々しい私でも、そこまではついて行かず、みなさんと握手をして別れ、車に乗り込みチカランに帰りました。

医療サービスの青年からは病院で先生が来るまでや、薬局での待ち時間に、いろいろ日本での介護士の経験を聞きました。

彼は介護施設、精薄施設で働いた経験があり、認知症の人の介護は大変ですと教えてくれました。

中には食べ物と排泄物との区別がつかない人がいるので、相手がわかるまで何度も何度も来り返して教えなければないなかったとか、すぐに怒り物を投げつけるひとがいるとか、夜中に徘徊する人がいる時は一時間ごとに見回りに行かねばならないとかです。大変な労力だと思います。

また、インドネシア人の看護師介護福祉士候補の受け入れ制度はEPA(経済連携協定)によ10年ほど前に始まり、その青年は第二期生であるとのことでした。

私は知り合いから介護士看護師に合格したインドネシアの人が日本での就職をしないですぐにインドネシアに帰国してしまうらしいねとか、最近、日本政府はインドネシアよりもベトナムから介護士看護師を多く受け入れるようですよとか、台湾では多くのインドネシア人がハウスキービングで働いていますよとかの話題をiPadで新聞記事を見せながらお話ししました。

彼からは政府間の制度であるEPAとは別に、最近は技能実習生制度で看護師や介護士の資格がとれる民間交流の制度ができたとききました。

EPAは日本語がわからない人たちを日本に派遣し日本で日本語を学ぶ方法を取っているが、技能実習生制度はインドネシアで日本語検定試験(N4)を合格した人だけが行ける制度にして、日本ですぐに役立てるようにしていく仕組み作りが必要であるとのことでした。

技能実習生制度では送り出し側と受け入れ側が民間ですので、インドネシア側の送り出す団体と日本側の受け入れる団体がしっかりしている必要があることなどの説明もありました。

私は耳の治療を始めて5日が経ちました。まだ頭痛が少しありますが、時間をかけて治します。

でも、頭痛の原因であると診断され、抜いてしまった私の奥歯は何だったんでしょうね。

日本の歌舞伎の隈取りも副鼻腔に関係あるのでしょうか?

丹羽慎吾

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です