シンゴ旅日記ジャカルタ編(27)  ジャカルタの病院への巻

先週の台湾出張中から右後頭部に痛みが生じ出しました。

台湾では毎晩、紹興酒、ウィスキーを飲んでいましたので、頭の痛みはお酒の所為だろうくらいに軽く考えていました。しかし、今週に入りその痛みがひどくなってきたのです。

しかし月曜から木曜までは私が担当する営業案件で日本からの出張者と一緒に客先と業者を回り価格や仕様、納期を決める大事な時でした。

週半ばになり頭痛がひどくなってきましたし、仕事の方も予定より一日早く片付いたので木曜日に病院で診てもらうことにしました。

心臓や血管についてはいろいろと調べていましたので、単なる頭痛が大きな病気につながるケールもあるのでちょっと心配になったのです。

検査は一時帰国して日本で受けなくてもこちらの病院でできるだろうと思いました。

会社のシステムでは駐在員が病気やケガをした時には現地の医療サービス会社が病院の手配、通訳、海外旅行者保険の支払いの代行をしてくれることになっています。

この制度は昨年から本社が医療サービス会社と契約して始めてくれたのです。

それで私はまづ医療サービス会社のコールセンターに電話しました。

電話番号が001-で始まりましたので電話の相手がどこの国にあるのかわかりませんでした。

電話から聞こえたのは男男性の声で、日本語での対応でした。

彼は会員番号を聞き本人確認を済ませ、頭痛の症状を聞くとインドネシアの医療サービス会社の担当者から私に電話連絡すると言いました。

私は電話を切る前に、その電話がどこの国につながっているのかを聞くと上海とのことでした。

ついでにその男性の名前を聞くと中国名でした。

電話を切って、しばらくすると私の携帯にインドネシアの医療サービス会社の男性から電話があり、日本語でいろいろ聞かれました。

男の人  頭痛はいつからしますか?

私        先週からです。

男の人  どこが痛いですか

私       右の後頭部です。

そこまでは良かったのですが、次の質問にはびっくりしました。

男の人  頭痛の原因はなんですか?

私        それがわからないので診てもらいたいのです。

男の人  痛いだけですか?

私       ???(なんて答えればいいのだろう)

男の人  希望する病院はありますか?

私        マヤパダ病院をお願いします。

私が伝えた病院は医療サービス会社のからもらったパンフレットに日本で学んだ脳外科医がいる病院でした。そして、その病院には今年なって私の部下や部下の奥さんがすでにお腹や歯の治療を受けていたのです。そして彼らから大きな新しい設備を持った良い病院だと聞いていたからです。

電話が終わると、携帯を机の上に置いて私は仕事の打ち合わせで別室に入ってしまいました。

打合せが終わり席に戻ると携帯のショートメールに病院の予約が午後2時に取れたことと通訳する人が病院で待っているとのメッセージが日本語で入っていました。

私はチカランからその病院までの所要時間をスマホのグーグルで調べると二時間掛かるとでていました。それで私は12時に会社を出て昼食を取らずに病院に向かいました。

2時ちょっと前に病院に着き、通訳の人に電話して一階のロビーで待っていると、インドネシア人女性が近づいてきて「丹羽さんですね」と日本語で聞き、私が「そうです」と答えると二階の脳外科のセンターに案内してくれました。

センターの受付で診察を受ける前に助手の人からいろいろとインドネシア語で質問されました。

質問された項目はほとんど理解できましたが通訳の女性の手前、私は日本語で答えました。

それが終わって診察室に入ると先生はまだ来ておられませんでしたが、先生が座る机の後ろの壁には墨で「神手」と書かれた額が飾ってありました。

きっとここはパンフレットにあった日本で学んだ脳外科医の部屋だと思い安心しました。

しばらくすると中国人とも日本人とも見える小柄な老医者が入ってきました。

流ちょうな日本語でいろいろ質問し、ベッドの上に座った私の触診を始めました。

そして歯か、顎が痛くありませんかと聞きました。

私は最近冷たい水を飲むと右の奥歯が痛むと答えました。

そうしたら奥歯の虫歯の所為もしれませんが、一応MRA、MRIを撮って調べてみましょうといわれました。MRAは頭部の撮影であることは知っていましたが、MRIが何であるか私は知らなかったので、MRIとは何ですかと聞くと背骨の画像を撮影するのだといわれました。

そして三階のMRAの機械がある部屋に行き、あのゴーゴー音のする機械の中に上半身を二回入れられました。撮影したMRAの機械のメーカーはPHILIPSでした。

MRA/MRIの撮影終わると二階に戻り、診察室の前の椅子に座って待っているとすぐに名前を呼ばれました。

診療室に入ると、先生の机の後ろに先生がいて、その後ろにはMRA、MRIで撮ったレントゲン写真のようなものが三枚貼られ後ろから光が当たっていました。

その下の台には何枚もの他の写真が置いてありました。

先生は一枚一枚の写真を入れ替えながら、脳には異常がないこと、しかし、右の奥歯の炎症が右の鼻の穴をふさいでいることを説明してくれました。

先生は「抗炎症剤と痛み止めの薬を出すのでそれを飲んでください、またこの病院の歯医者で治療を受けてください」と言われました。そして先生はその場で助手に歯科に連絡を入れさせましたが、その日はもう予約で埋まっているとのことでした。

私は脳内出血などの大きな症状でなかったのでほっとしました。

そして、記念にと思い先生とのツゥーショットを通訳の人に頼んで撮ってもらいました。

ついでに先生に年齢を伺うと「昭和13年生れです」と答えられました。80歳になられるのです。

私は何度もお礼を述べて診療室を出て待合室にいきました。

通訳の人が薬局に行き薬をもらい支払いをして戻ってきました。

支払は海外旅行者保険に入っていて、その手続きを医療サービス会社が代行してくれるので私たちはお金を支払う必要がありません。

通訳の人は歯科の予約を翌日の金曜日の午後4時半に取れたと伝えてくれました。

そして歯科治療は海外旅行者保険が利用できないので、治療費を私が払い、あとで本社に健康保険で支払いの請求をするようにと説明してくれました。

彼女はその病院でまだ他の仕事があるとのことでしたので、私たちは待合室の外で別れました。

私は一階の売店に行ってペットボトルを買って早速薬を飲みました。

鎮痛剤はカプセルと錠剤の二種類がありました。錠剤は一回の服用が半分と書いてありました。

私は錠剤を半分にしようと爪を立てましたが、割れませんでしたので歯で噛んで半分にしました。

その日は真っ直ぐアパートに帰り、夕食を取らずに眠ってしまいました。

翌日の金曜日です。朝起きてから前日の検査と薬代がいくらだったかが気になり、SNSで昨日の通訳の人に領収書をメールで送ってほしいと頼みました。

会社に行き、昼前に病院での4時半の歯科診察に間に合うためには何時に出発すればいいのだろうとスマホのグーグルマップを見ると、所要時間が二時間とでましたので午後2時に会社を出ました。

しかし、高速に入ると渋滞につかまり、車が順調に進まなくなりました。

金曜の午後2時過ぎは上り、下りとも混雑するようです。

スマホを見た昼前と午後2時では混雑状況がまったく違っていたのです。

3時半ころに通訳の人から4時のキャンセルがでたのでその時間に診察受けれますかと電話がありました。私はまだ高速道路に居るので無理であることを伝え携帯を切りました。

そしてグーグルマップで病院までの所要時間を調べると、病院まで二時間近くかかることがわかりました。その時は私の車はまだジャカルタ郊外のブカシ市のあたりを走っていたのです。

とても予約した4時半には間に合いません。

今度は私から通訳の人に電話をして、予約した4時半にに着くことができない、6時に延期してほしいと伝えました。

すると向こう側で誰かと話している声が聞こえましたが、通訳の人からその日は予約で全部埋まっているので変更は無理であるとの返事がありました。

それで私はその日の歯の診療はあきらめ、来週の予約をお願いしました。

すると歯科は金曜日と土曜日しか診療しておらず、翌日の土曜の診療は予約で満杯であり、とれるのは金曜の午後3時であるといわれました。私はそれでお願いしますと答え、運転手さんに車をUターンするように指示しました。

仕方がありません。私はそれまで抗炎症と鎮痛剤で我慢します。

なお、脳外科で通訳してくれた女性は日本の看護師受入れ制度に受かり看護師として三年長崎で働いた経験を持つ人でした。

それにしても発展途上国の医療体制も進歩してきていますね。

シンガポールは医療先進国ですが、タイはバンコク病院やバンムンラード病院など最新設備を備えた病院がいくつもあり、インドもアポロ病院などが世界中から患者が治療に来ています。私もそれらの病院で入院したり治療を受けたりしたことがあります。

私のインドネシアの医療のイメージは昔のままでしたが、今回、マヤパダ病院に行ってみてこの国の医療体制も進んできていることがわかりました。

きっとこれからは医療を含めた国民への厚生が大きなビジネスや国の政策の中心になって行くのでしょうね。

丹羽慎吾

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