シンゴ旅日記ジャカルタ編(9)  散歩しながら考える(日の出時刻)の巻

散歩しながら考えるの巻 日の出時刻 (2017年12月記)

私は東南アジアやインドで駐在した国々の日の出、日の入りの時刻が日本と違って一年間を通じてあまり変わらないことを実感していました。

日本のように夏の季節の日の出は早く、冬の季節は遅いということがないのです。

インドネシアに着任した昨年11月は朝の5時半前には辺りは明るくなっていました。

しかし、3月ごろから日の出の時間が遅くなり、5時半ではまだ暗い朝の日が続きました。

そしてまた10月の半ばころから5時半になると辺りが見えるくらいの明るさになりました。

日本であれば日の出が一番早いのは夏至の6月ですので、違和感がありました。

散歩しながらインドネシアの日の出時刻は年間を通じてどう変化しているのだろうと思いました。

そして調べてみると次のグラフとなりました。データは2017年のものです。

縦軸の下から上に向かってが一日の時間経過で、横軸が1月から12月の一年間の推移です。

ジャカルタの日の出時間は11月が一番早く、8月が一番遅くなるのです。

これではよくわかりませんので東京の時刻と重ね合わせたのが次のグラフです。

インドネシアの日の出、日の入り時刻が日本のもの同じ傾向を示さないのはジャカルタが赤道に近く、そして南半球に位置しているからです。

夏至や冬至の日が日の出時間のピークになると思うのですが不思議ですね。

それで今まで私が駐在した都市のシンガポール、バンコク、チェンナイの日の出、日の入り時刻を調べてグラフにしてみました。

バンコクとチェンナイの日の出、日の入り時刻は同じようになります。

これは緯度がほぼ一緒だからです。

そしてシンガポールとジャカルタは同じ傾向を示しますが、約一時間半ばかりシンガポールの日の出、日の入時刻が遅いのです。これはシンガポールの経度が関係してきます。

ジャカルタは日本との時差が二時間あります。

シンガポールは日本と時差が二時間あるジャカルタやバンコクと同じような経度に位置するのにかかわらず日本との時差は一時間しかありません。

それぞれの都市の緯度、経度で表すと次のとおりです

経度は360度ですから一日の24時間で割れば、経度15度ごとに一時間の時差となる計算になります。

シンガポール、ジャカルタ、バンコク、香港、台湾、北京と東京の時差を東京の経度(東経139.43度)を元にして計算で求めたものと、実際に使われているUTCの時差との比較をしてみました。

東経 東京との差異 計算時差 UTCでの時差
ソウル 126.58 12.85 51分 なし
台北 121.33 18.10 1時間12分 1時間
マニラ 120.59 18.84 1時間15分 1時間
香港 114.06 25.37 1時間41分 1時間
北京 116.24 23.19 1時間33分 1時間
ジャカルタ 106.51 32.92 2時間12分 2時間
ハノイ 105.50 33.93 2時間16分 2時間
シンガポール 103.49 35.94 2時間24分 1時間
クアラルンプール 101.41 38.02 2時間32分 1時間
バンコク 100.30 39.13 2時間37分 2時間
チェンナイ 80.15 59.28 3時間57分 3時間30分

シンガポールは本来であれば東京と2時間の時差があってもしかるべきなのです。

それが1時間しかないのは、同じ華人社会の香港の株式市場と同じにするために香港の時差に合わせたという説があります。マレーシアはシンガポールに追従したのでしょうか?

 

日の出日の入り時間が緯度によって違うということは一日の日照時間が違うということです。

私が駐在した都市と東京の日照時間をグラフにすると次のとおりです。単位時間/日

突然ですが英語で気候を表すClimateの語源はギリシャ語の「(お日様)の傾き」なのです。

季節の代わり目の春分と秋分の日には太陽が赤道の真上に来ます。

その時に赤道地点にいると、太陽が南中した時に影が真下にくるのです。

その赤道0地点がカリマンタンのポンティアナックです。

春分には多くの人が真下の影を体験するためにでかけます。

ポンチアナックの日の出、日の入り、そして日照時間はどうなっているのでしょうか。

東京、ジャカルタと比較してみます。

そしてこれらから日照時間を計算すると次のようになるのです。

同じインドネシアでもジャカルタとポンティアナックでは日照時間が微妙に違うのです。

 

日照時間だけでなく、日本とインドネシアは気温、降水量そして湿度も違います。

日本では日照時間、気温、降水量、湿度が一年を通じて変化します季節があるののです。

春一番、春眠暁を覚えず、衣替え、夕涼み、秋の夜長、冬仕度、、、、、

そして、季節があるのでその時々の風景に感動する俳句が作れるのだと思います。

日本人の挨拶は季節用語で始まります。

「すっかり暑くなりましたね。」「まだまだ暑いですね」「寒くなりましたね。」「うっとおしい梅雨ですね」

そして、日本人の記憶は季節と一緒に表されます。

「あの時は桜が咲いていましたね。」

「あの時は雪が降った寒い朝でしたね。」

インドネシアでは「暑くなりましたね」とか言えないのです。

日本では田植えや稲刈りは季節の風物詩ですがインドネシアでは二期作、三期作ですから「あの時は稲が実った時期でしたね」とも言えないのです。

ジャカルタと東京では湿度も違います。

日本の哲学者・和辻哲郎は『風土―人間学的考察』(1935年)で世界の地域の中からモンスーン・砂漠・牧場という三分類の設定をし、「風土」は単なる自然現象ではないといして、その地域ごとの文芸、美術、宗教、風習、食物、植物などあらゆる人間生活の特質を浮き彫りにしています。

私はその本を電子書籍で購入して読んでみましたが、なんかこれでもかこれでもかと畳み掛けるような内容であり、地域の特性はよくわかりましたが、何を言わんとするのか理解できませんでした。

 

私が言えるのはインドやインドネシアでは季語が一杯入っている昭和の演歌を聞いても、なんだか心に響かなくなってきているということです。

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