インドネシア回想記(6)

テレコムとのビジネス

鉄道と並ぶ重要顧客がテレコムである。

当時、日本の電電公社と同じような役割をはたしていて、その本社がバンドンにあった。

意外にも、というと駐在国に対して失礼になるが、主要都市の市内通話は自動化されており、ジャワ島の西、例えばジャカルターバンドン間はゼロ発信で即時通話が可能だった。

これから大規模な「市外通話」を整備しようという段階で、北スマトラのメダンからジャカルタへの、1000キロに及ぶ「マイクロ回線」のプロジェクトが動き出そうとしていた。

入札から契約交渉、この段階が駐在員としては、最も重要で神経をすり減らす。テレコムの多くの人たちと、またコンサルタントの豪州人とも親しくなった。

テレコムでは、JさんとKさんの2人とよく付き合い、お互いに家にもよく行き来した。この二人は、若くかつ西洋文明をよく理解していたせいもあり、また、日本人と付き合っていることを意識していたせいもあって、自分たちが信じていることになっている「回教」に対して、冷静な視点を維持していた。

そのせいか、僕の家に来て、ビールを飲むのが好きだった。彼らの家ではありえない。

以前に鉄道の技術者で、敬虔な回教徒のSさんのことを書いたと思うが、同じ国営企業の技術者でも、古いものを引きずる鉄道と、日進月歩の電気通信と、対象が異なれば宗教観もちがうかとも思ったりした。 (以下次号)

三浦 二雄

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