追憶のオランダ

宮川直遠
幻のゴリラ

これは1995年当時の話で、まだ少し生々し過ぎて書くのを少し憚られ、「オランダ点描」には書けなかった話です。2018年の今、時効でもないですがやっと今ならよかろうと思い、当時を思い出して書くことにしたものです。 1995 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(85)最終回 航空会社職員の機転

最近は事情がかなり変わったと思われるが、今から20年以上もの昔は飛行機を利用する場合空港に着いてから実際に搭乗するまで随分と時間を要したものだ。特に、行楽シーズンなどはカウンターの前に延々と列を作らされる羽目になる。出発 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(84)Late FridayとBlaak の青空市場

オランダは日本のように店が夜遅くまで開いているということはなく、レストランとかは別にして、通常の日用品などを商っている店は早々と閉まってしまう。ただ、それでは皆不便に違いなかろうが、それはそういう昔からの習慣だから仕方が […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(83)4月30日は女王の日

今は「昭和の日」と言いますが、はるか昭和の時代には4月29日は「天皇誕生日」と言っていました。オランダではその翌日の30日が「女王の日」で、祝日になっていました。この日には極端に言えばオランダの国中がオレンジ色一色になる […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(82)ゼンマイを採る

日本ではあまりやらなかったことを、異国の地にいるというだけで、なぜかやってみたくなるのもおかしなものだ。山里の生活に慣れている人なら春が来ると山に分け入り、春の山菜採りに夢中になるという。都会で暮らしていて、ワラビやゼン […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(81)KLMからの手紙

読者の皆様は、以前に書いたイースターホリデーの話を覚えておられますか? これからがその「おまけの話」です。 私どもの初めてのイースターホリデーは、最後の段階で飛行機に危うく乗り損ないそうになるドタバタ劇がついていましたが […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(80)バケツ入りの豆腐

またまた日本食材の話で恐縮だが、日本から生のままで運べないものがある。もちろん冷凍もできない。それは豆腐。海外で生活していて日本人はやはり豆腐が恋しくなるようだ。しかし、冷ややっこで食べられる豆腐を日本からそのまま取り寄 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(79)オランダの切手

子どもの頃熱中したものの中に切手の収集というのがあった。もっぱら、日本の切手だったが、たまに外国の切手を友達の間の交換で手に入れることがあり、どんな国なのか興味を持った記憶がある。 一度は熱中した切手収集だが、高校の頃に […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(78)高速道路でコンボイに遊ばれる

ある時、高速道路を走っていて大きなトラックの一団に出くわした。二連になったものもいるし、これらのトラックはかなり大きいものばかりだ。そんなトラックの後ろについてしまうと、前が見通せないので、一刻も早くこの一団とは離れたか […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(77)停電でも交通渋滞にならない

最近の日本では停電ということは滅多に起こらない、ということが当たり前のようになっています。昨年台風の影響で一部の地域が長期間大停電に見舞われたことはむしろ例外中の例外のようにさえ思ってしまいますが、電力事情のあまりよくな […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(76)赤ちゃん誕生

どこの国でも赤ちゃんの誕生は喜ばしく、家族でなくとも微笑まずにはいられなくなる。住んでいる近所を散歩していて、ふと気づいたことがあった。あるお宅の玄関先に色とりどりの風船や様々なもので飾り付けをしているのだ。何か祝い事が […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(75)運転免許 大日本帝国が活きている

オランダに赴任して最初にしたことと言えば、外国人登録と自動車運転免許の切り替えであった。その際、証明写真を撮るが、まずそこから勝手が少し違っていた。日本はその種の写真は真正面を向いて撮る。しかし、オランダでは、真正面はダ […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(74)バカンスにはトレーラーハウスを引いて

オランダの夏休みは、年が改まると同時に準備が始まります。家族で、その年の夏休みの計画を練り始めるというのです。今年のバカンスはいつからいつまで、そしてどこへ行こうと、家族中で話し合って家族全員の休みを調整しながら計画を立 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(73)クラーリンゲンのイモリのミイラ

オランダに来て2軒目の家として住んだクラーリンゲンの家は、会社の公邸になっていた。そこには大きな庭があり、人工の池も作ってある。おそらく昔の住人は魚でも飼っていたのだろう。私達が住みだしてからは、何も飼ってはいなかった。 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(72)隣の猫を飼う話

我が家では猫を飼ったことはないが、犬なら私が子供の頃、大きなシェパードを飼っていた。私が生まれてすぐの頃、父が知り合いから仔犬でもらってきたようだ。私が物心つく頃には立派な成犬で、私にとっては同い年ながら自分より大きな犬 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(71)限界集落

近年、日本では山間部などでは過疎が進み住人の大半が高齢となっているいわゆる限界集落では日常の買い物にも困るという。それで、食料品やらいろいろな日用品などを積み込んだ移動販売車が定期的に巡回している話をよくテレビなどでも見 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(70)「25」へのこだわり オランダ通貨

オランダに赴任するまでに何度か出張で行き来していた時には全く気にならなかったが、実際に住んで生活をするようになって気付いたことがある。数のとらえ方についてだ。 具体的には、日常お目にかかる紙幣・硬貨とも「25」にこだわり […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(69)花束を手土産に

さすがオランダはチューリップの国でもあり、農業国だと感じる。実際、オランダの花卉産業は世界有数の規模を誇っており、チューリップ以外にも多くの花を温室で栽培している。スキポール空港に近くなり飛行機の高度下がってくるとまっ平 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(68)砂地で傾く建物

傾いているので有名なのは何といってもイタリアのピサの斜塔であろうが、オランダでも同様に傾いた古い建物があちこちで見られる。それも高い建物で、教会の尖塔などが多い。かのフェルメールが葬られているデルフトの旧教会の尖塔(写真 […]

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宮川直遠
追憶のオランダ(67)住居設営奮闘記(続)

それまでの約10日以上は、先行して送っていた変圧器に電気スタンドだけで明かりをとっていた。どんな照明器具にするか思案していたところ、よく見ると天井には日本のような照明器具を接続できるような形のものは何もない。なにやら細い […]

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